縁側は、家屋における、自分の空間にある公共空間であり緩衝地帯である。

昨晩放送された、綾瀬はるか主演の映画で、主人公とその夫が住んでいる家が縁側のある日本建築の家屋だった。最近の家屋には、縁側のあるものが少ない。

縁側は、家屋における、自分の空間にあるちょっとした公共空間であるとは言えないだろうか。

近所のおばさんが、ちょっと世間話をしたいと考えたとき縁側は重要な役割を果たす。訪問先の家に上がりこんで話すまでもないが、ちょっと話すだけなら、縁側に腰掛けて世間話をするのにちょうどいい。お茶の一杯も出るかもしれない。

縁側は、廊下である。廊下を使えば、各部屋を通らなくても各部屋に行ける。もちろん、そのような機能的な必要性があって縁側は設けられたのだろうと僕は考える。

縁側は、外部の空間との緩衝地帯である。ぼくの家にも縁側がある。しかし、この縁側は、縁側の役割を果たしていない。縁側を本来の機能を持たせたいと僕は考えているが、それには、今縁側にあるものをどこへ移動させるかがボトルネックである。昨日見た映画を見て、縁側を復活させようと僕は考えている。



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