小さいころわたしは、父が手綱を引く牛車の助手席に座り父の仕事にお供したものだった。当時、うちでは、牛を飼っていた。父や母は牛を飼うために必要な草を畑に刈に行った。畑を維持するするためには草を刈ることは必須である。一方、刈った草は牛のえさや牛が休む時のクッションにもなった。牛は、田を鋤く重要な動力源だったのである。今は、トラクターなどがとって代わっている。
ところで 醤油については、当時は計り売りだった。豆腐を買いに行くときは、鍋を持参した。だが、今のスーパーなどでは、パックしたものに値段をつけて売られている。当時の精肉店では肉やで肉を買うと木を薄き削いだものや特殊な加工をした紙のようなものに肉を載せ、それを緑色の紙に包んでくれたものだった。今の精肉店でもそのような精肉店はまだあるかもしれないが、一方、今はスーパーで肉はトレイにパックされ、コンビニエントストアで弁当などを買ってそれを食べた後は、多くの石油由来のプラスティックなどのゴミを産む。
昭和の時代には、規模は小さいが循環型社会がまだあった。レジ袋につては、それを使わないようなことが行われている。しかし、トレイには考慮されていない。スーパーなどで肉を売ったり、コンビニストアで弁当をパックして売る際には、致し方ない側面は確かにある。便利さを選択することは資源が大事ということ選択することと相反する思想が存在する。
このような課題を解決する何かよいアイデアはないものでろうか。今の生活様式を変えることは困難であるだろう。しかし、わたしは、この課題を解決するために「考える」ことについて無意味だとは思いたくない。
今から江戸や昭和の時代に戻ることはできない。しかし、循環社会を指向するのであれば、これを全く考慮の埒外に置くことは、分析を放棄しそれゆえ総合を拒否する一面があるとわたしは思う。
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