「耕雲館」とう名の図書館 ある方から教えられたことである。 「耕雲館」とう名の図書館のネーミングについてである。この図書館は、駒澤大学にある。ぼくは、雲を耕すなんて、何て素敵な言葉だろうと思った。ぼくには、雲を耕す様を想像したけれど想像しきれなかった。それで、広辞苑を繙いたのであるが「耕雲」は載ってない。漢和辞典も繙いたが結果は同様だ。
そうこうしているうちに「禅語」であることをぼくに教えてくれる人がいたのである。 駒澤大学が仏教系の大学であること。それも禅宗であることを考えれば「耕雲」が禅語に由来するものであることは想像できたかもしれない。ぼくの想像はそこまで届かなかった。忸怩たる思いである。
人生には、ひょっとしたことから興味の泉がわいてくることがある。だから楽しい。いま、ぼくたちが住んでいるこの世界とは違った世界がきっとあって、針の先ほどの小さな穴を通して繋がっている。ぼくたちにとってその穴を見つけられるかどうかはわからない。その穴は、一つであるとは限らない。何かのきっかけで見つかることもある。
その穴は、自分以外の誰かかもしれないのである。
必要なのは「啐啄同時」か。
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