ミヒャエル・エンデ「モモ」を読んで 岩波書店

  

 時間貯蓄銀行

 閑暇のニーズ 現

代人への警鐘 

人の話を黙って最後まで聞く

 そんな人に、みんな集まってくる 言いたい人は、

満足する 

利息がつく いそがしい 

怒りっぽくなる 

上記の記述はこの本を読み始めてから、私がキーワードと思ったものをメモしたものである。物語は後半に入ってスピード感を増す。だから、わたしも後半を読むには、一気に読んだ。前半は一日に読み進んだページ数は少なく、たびたび中断した。

しかし、こんなことはどうでもいいのである。以前に「経済人類学への招待」ちくま新書 に登場する「閑暇のニーズ」について書いたところ、この言葉に関連して「モモ」という言葉で共感してくれた読者がいたので、わたしは逆に「モモ」って何だろうとおもった。これが、「モモ」を読んだ動機である。

 この物語に登場する「時間貯蓄銀行」は、恐ろしい存在である。時間貯蓄銀行は人間から時間を貯蓄させ、将来に備えることを業務とする。将来は利子を付けて返すというふぇれ込みで、時間の預け入れを勧誘する。

しかし、これは、アタッシュケースを持ち葉巻を銜えた銀行員による詐欺である。彼らは預け入れと称して、自分たちが存在するために消費してしまう。将来、利息の付いた「時間という貨幣」を返す気など毛頭ないのだ。彼らの生きる上での糧なのである。

 時間を貯蓄した人間は忙しく働く事を余儀なくされ、不機嫌になり、他人を思い遣るこころと余裕を失う。絶えずイライラし自分のことしか考えなくなっていく。

 わたしにとっては、物語はエンターテイメントだった。スピード感のある心地よい物語だった。この本から格言や警句があったとしても、それらを感じさせないファンタジーだった。おそらくもう一度、読み返せば多くの今の世界に対する警鐘を拾うことができるに違いないと思う。ただ、ひとつ言えることがあるとすれば、小学生のときに読んでみたかった、ということである。

 冒頭に出てきたモモに出来たこと。相手の話を聞くこと。これのみが、私にとっての課題であり「警句」なのである。他人に聞くことを強制し、自分は相手に、誰々は話を聞かない、聞いてくれない、とつい感じたり口に出してしまうのである。  

 時間をお金に何度も置き換えたけれど、いまひとつ、わからなかった。 

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