山内昶著「経済人類学への招待ーヒトはどう生きてきたか」の感想文にかえて

 マズローの人間の基本的欲求を低次から述べると、下記の通りである。

 1、生理的欲求 2、安全の欲求 3、所属と愛の欲求 4、承認(尊重)の欲求 5、自己実現の欲求 人間の基本的な経済欲求ではなくニーズと捉えてみると違った観点が観察できる。

生存のニーズ/ 保護のニーズ /愛情のニーズ /理解のニーズ /参加のニーズ/閑暇のニーズ/創造のニーズ/長生きのニーズ/自己の意味づけ(アイデンティティ)のニーズ/ 自由のニーズ/高度医療のニーズ/ヒトとヒト、文化と文化の国際的な交流のニーズ/ミクロとマクロの宇宙の理解のニーズ 

個々のニーズについての細かな言及はここでは避けるが、欲求には際限がなくニーズにはそれが備わっていることが両者の大きな相違点である。また、マズローの欲求は低次の欲求が満たされていることが高次の欲求へ到達する条件となっているが、ニーズは必ずしもそうではない。

個々のニーズは同時に存在するし複雑に絡まりあい関連する。また、人間的な基本的ニーズは、すべての文化とすべての歴史段階に共通であり、時間や文化を通じて変化するのは、これらのニーズを充足する形態と手段である。

 人間に技術革新が起こるとさらに多くの物を生産し、不可逆的な負の財産を生産する。だから人間社会の労働は増加することはあるが、減少することはない。1970年代にローマクラブの報告書によって資源の枯渇や環境汚染による人類への警鐘が鳴らされたが、その時代から現在同じ地球に住む私達はどれほど進歩しているだろうか。

経済成長が進歩と同値であるならその通りであるがはたしてそうだろうか。陸上の400メートルハードルの選手だった為末大氏は人間はホモ・ルーデンスであると言う。

人間が遊ぶための閑暇のニーズをあまりにもないがしろにしてはいないだろうか。遊ぶことより労働を重視する社会になっている。 先程、技術革新に触れたが、そのとき、人類学的に考察すれば、人類は閑暇のニーズを充たすという選択をしてきたのである。今はそうではない。この先、何百年後の私達の子孫や他の生物から後ろ指を指されることのないような世界を残すことが出来るのだろうか。

生まれて物ごころついたときにはテレビがあり洗濯機があり十分な電気が供給され、高度成長の時代に育った私ではあるが、このような議論があることを承知しておくことは意味あることであると思う。

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