「「家族」をつくる 養育里親という生き方」村木和木著 中公新書ラクレ 

  この本は、豊富な事例を挙げて「養育里親」とはどのようなものななのか、子どもを、しかも自分の子ではない子を養育することに伴う葛藤を浮き彫りにした労作である。これから養育里親になろうとする者には心構えを、里親自身の言葉で語らせることにより、浮かび上がらせている。

また、現在、養育里親をやっている者に対しても参考になると思う。ある意味、我が子でさえも時代の変化により、育てるのが難しいと思っている方にも参考になると思う。 2005年12月10日に発行された本だが、全く色あせたところがない。題名には「「家族」をつくる」という表現がなされている。養育里親が里子(要保護児童)を自分の家庭へ受け入れて、自分の家族の一員として、文字通り家族をつくる過程が養育するということなのである。

その過程は、山あり谷ありで、おそらく平穏無事に済むことの方が稀有なことではないだろうか。苦悩し、葛藤する。毎日がその連続である。実の親子関係でも同様であり、その点、里親も里子も同様である。 わたしは、我が子を虐待し、親が逮捕されたというニュースに接すると、虐待された子はどうなるのか。児童養護施設に委託されるのか。里親に委託されるのか。ファミリーホームに委託されるのか。こういうことが気になる。

里親やファミリーフォームは広い意味では社会的養護であるが、この二つの形態は家庭的養護である。なぜいずれも里親の家庭で養育されるので、里親はいつでもその家庭にいるから、この点で児童養護施設と異なる点である。

この本にも述べられているが、虐待された子は親からの愛着が十分でない場合が多い。その意味では親からの愛着を取り戻すための家庭的養護は、愛着が不十分だった子にとっては、ばらばらのジグソーパズルのピースを一つずつ埋めていく作業であるのではないだろうか。壊れた器を一片ずつ集めて修復する作業と言ってもよいだろう。 

「過去は変えられないが、未来は変えられる。」この言葉は、わたしの知人であり、以前は養育里親であって現在はファミリーホームを経営している方が発した言葉である。この言葉を聞いたとき、わたしははっとした。「どうせ、このこは・・・」と思いがちである。わたしもそう思う一人かもしれない。しかし、未来が変えられるという可能性がある限り、その可能性に懸けながら日本の多くの里親さんたちが一所懸命がんばっていると信じたい。そして、多くの方に「養育里親」「ファミリーホーム」の存在を知って欲しい。

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