先祖に満州国でなくなった人がいた。南満州の病院でなくなったと古い戸籍に記載があった。わたしは、そのことについては想像だにしなかった。しかし、当時の時代的背景を考えれば決してありえない事ではない。
先人の苦労を想像した。それに生きて満州国から日本に帰った人たちが体験したことは筆舌に尽くしたいものだっだろう。わたしの実家の近くに津島神社がある。そこの石碑にはわたしの父の名前が刻んであった。わたしがまだ小さい時に死に別れた父の名前である。
当時は地縁による住民同士の結びつきが濃いものであったことが想像できる。実家のすぐ近くの道を普請している父の姿をわたしは覚えている。
ところで、わたしの母校の小学校には忠魂碑がある。確かに忠魂碑の存在は当時も認識していた。けれど、その忠魂碑が東郷平八郎を祭ったものであることは、最近になって気づいた。郷土史に関しての書籍を読んで初めて分かったことである。
わたしは、余りにも歴史を知らなすぎる。 しかし、歴史的な評価はここでは棚上げする。 ところで、 無関心であることは決して良い事であるとは言えないのではないだろうか。もっといえば、関心をよせるべきなのではないだろうか。
わたしが育ったふるさとには、戦時中、日本帝国海軍があった。そのことについては親戚が集まる法事の席でよく聞いたものだった。別の案件を調査する過程で、辿り着いた事実である。わたしの母親が住んでいた土地は海軍基地施設の建設のための接収に遭い強制移住している。
ほかの区域にもあったことであるが、随分と苦労したことだろう。わたしは、そのことを想像して思いを馳せるのである。
過去に拘泥するのは問題であるけれど、過去と言う名の歴史に目をつぶるのも問題であると、わたしはそう思う。
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